学生時代はサーフィンや釣りなど遊んでばかりいた。 釣りをして自分で食料を調達しながら2ヶ月くらい秋田の山にいたこともあった。 一度家をでるといつ帰ってくるかわからず、携帯電話の無い頃なので連絡もできないという状況で、両親に心配をかけた。 大学をでると、僧侶の資格をもらうが、遊んでばかりいたために自分が僧侶をできるのか不安になった。 しかし、両親は自分のことを信じていてくれていたため、僧侶としての修行を頑張る力をもらった。 最初に四国にお遍路に行った。札所八十八箇所を野宿をして32日で巡った。 遍路の道中、地元の「お接待」に感動した。 お遍路では「同行二人」というのがある。これは遍路では常に大師様(弘法大師)が一緒にいるということ。 遍路の間、頭にくるようなこともあるが、これには理由があり、因縁であると考えることを学んだ。 自分はご先祖様のおかげで今があり、ご先祖様は地球や宇宙があるおかげで存在し、 宇宙は何によって存在するか、とは説明のできないもので、これを仏教では大日如来としている。 このように何事も因縁というものを意識するようになった。 毎年、和歌山の大峯山に山伏として修行に行く。 山を歩くとき、「六根清浄」と唱えつづける。六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚をいい、六根清浄とはこの六根を清めるという意味。 山を歩くと、汗が出、息が切れる。このように汗や息などを出すことにより体を清める。 山では思いもかけない美しい景色などに出会い、感動することもあるが、時に身に危険がある恐ろしいことも起きる。 このような自然現象を良い悪いと分けるのは人間の都合で、自然にとってはあるべき姿である。 仏教の戒律があり、これは特別なことを言っているのではないが、守り通すのは難しい。 それは人間の弱さのためであるが、その弱さも人間の良さである。 修行をしたあとはより大きく成長するが、それも時が経つにつれ薄れていく。 しかし、あとには修行する前の自分よりほんの少し成長した自分が残る。 凡事徹底、大事なのは継続すること。