昭和44年、藤本氏は東京秋葉原に、現「ゲンキの平和堂」の前身となる 「デンキの平和堂」をオ-プンさせました。 経済長期も終わりに近づいていたとはいえ、まだまだ消費意欲の激しいさなか、デンキの平和堂は急成長していました。 しかし、バブルがはじけ、大手主導のデフレ戦争の前に、同業他社も消えていき、そしてその暗い影は、いよいよ藤本氏の元へもやってきたのです。 苦悩した藤本氏は、万人幸福の栞の一節、「得るは捨つるにあり」の言葉に従うことにしました。 既に赤字経営となっていた事業の方針転換、事業所の閉鎖等あらゆる手段をもって、その全てを捨てました。 すると、不思議なことが起こりました。程なくしてリサイクル業に転向した藤本氏に、良い物件の情報が入ってきたのです。気がつけば会社は50人の従業員を抱えるまでに持ち直し、「得るは捨つるにあり」を実践したのでした。 氏にとって、「苦しみを喜んで迎え」で始まる万人幸福の栞は、まさに、人間取扱説明書なのです。