宇都宮市北倫理法人会
第387回 経営者モーニングセミナー
09年2月13日(金)
出席: 37社/ 41名
記録: 五十嵐 薫
講話
講話者:
ホテル丸治 大女将
福田 雅子(うたこ)
テーマ: 私の昭和

 昭和15年8月、嫁に行けといわれ、丸治旅館に嫁いだ。その宇都宮は、二荒山神社を中心に、上野百貨店、その前に仲見世、映画館があった。オリオン通り、江野町辺りには高級の料亭、料理屋さんがたくさんあって、賑っていた。連れて行ってもらった。東武駅は、このとき高い塀の刑務所だった。
 旅館に嫁ぐ。「明治女の境遇を赤裸々に語る」大女将の語りは、流暢に進む。
 嫁入り道具を馬車で、洋服箪笥が二棹、鏡台、ミシン、蒲団、座蒲団等々、紋入りの大きな風呂敷に包まれ、6畳、4.5畳2間の新居に運ばれた。旅館には、越後のちりめん問屋、富山の薬売り、紺の風呂敷包みを背負い、半年は滞在、宿泊していた。宿料は一円、一円五十銭、山形有朋、田中正造、乃木大将など、歴史上の人物も泊まられた。時、大東亜戦争が勃発した頃であった。
 姉妹で、短歌の会に入り、渡邊先生に師事、「日記のように短歌を詠む」と指導され、今のその思いで短歌詠みを今に続けている。「白木綿」に掲載した。戦争は進み、旅館に兵隊さんが来るようになる。雪道に馬が動けなくなることがあった。女学生が、楽しげに歌いながら通る。出征される兵隊さんが泊まる。脱いだ靴を見て、無事の祈りをささげる。戦局は急を告げる頃になる。
 主人は3回の召集を受ける。戦後無事帰還した。葉書がよく来た。その葉書にはいつも「金子様によろしくと書かれている。」母は送金をしていた。宇都宮軍都、14師団があった。兵隊がよく泊まる。出征兵の中には、出征前に婚姻して、一夜妻となる花嫁さんの宿泊もあった。これでいいのかと思いながら、出征兵の無事を祈った。食料不足が起こる。軍人の食料を工面することに奔走した。B29が飛来する。列を連ねて飛ぶB29に空を見上げる。その光景はきれいだった。そんな場合ではなかった。近くで大爆音がする。窓ガラスが響く。空襲にあったのだ。東京が昭和20年3月9日大空襲、その1月後、4月12日、宇都宮は焼け野が原となった。
八幡山の防空壕に非難した。蒸し暑い夏の夜、大きなホタルが飛んできて、顔に当たる。ホタルが生臭い。宝積寺に疎開する。疎開さんと呼ばれる。しかし、食べ物がない。鳥の餌に米をやっていたのをみて、それを頂いた。よく洗っておじやにして食べた。燃やすものが無くなった。下駄の削る端切れがもらえると聞いて荷車を借りて、もらいに行く、荷車が溝にはまり、助けられ帰ってきたこと。お手伝いを申し出る。風呂の水を汲む。しかし、水場まで遠い。重い水桶から水がこぼれる。こぼしながら,運んでいる。風呂場で、子供のおしりを洗ってあげたいと思ったから。
終戦で、宇都宮に帰る。貨車に動物と一緒に乗るしかない。池上の蔵は22あったが5つ残った。
 蔵の中の着物3枚で1月食べられる。進駐軍に売る。喜んで買ってくれた。仙台の叔父に、まな板など日用品を送ってもらい、ありがたかった。焼け跡から出たなべや鉄瓶などを売った。建築の補助が市から出ることになり、6畳二間の家を建てる。インフレの状態のときだ。2間の丸治旅館を
母と二人で始めた。昭和23年の暮れに、勧業銀行から、2階屋を建てる融資を受けた。掃除、洗濯、料理、何でもすべて自分でやる。創業300年の丸治を守る。「治」を代々継承する。後継者に命名している。焼け残った箪笥が2棹、今自分の部屋に置いてある。机、鏡台は等身大。それをみると、嫁入りのときの道具、いまさらにして、親のありがたさを感じる。箪笥の引き出しの下敷きに、黄ばんだ古新聞があった。昭和15年8月22日とある。黄ばんだ新聞、捨て難き。戦争の恐ろしさ、怖さは忘れられない。この時代を生きて、昔の昭和はありがたいばかりである。
 大女将の父は酒好きであったが、酔うと何時も歌っていたという。「宮小唄」。大女将が歌う。
 会場の掛け声と手拍子に声を嗄らしながら、披露された。次の機会には、「都都逸」をご披露されと、講話の席を降りられた。「人生は旅、昭和の旅」のお話は、目頭を熱くし、宇都宮で生まれ育った会員には特に胸を打たれるお話をいただきました.

出席者写真